金持ちは悪いのか
不動産投資でも株でもいいのですが、お金について考え始める際にまず乗り越えなければならない壁は金儲けは卑しいことであるという意識ではないでしょうか。
我々庶民の意識にはどうも金持ちは「あくどい」「ケチ」「がめつい」、貧乏人は清貧という言葉があるように「真面目」「金に汚くない」と刷り込まれていることが多いです。
実際の世界ではどうかと言えば、金持ちにも良いヤツもいれば悪いヤツもいるし、貧乏人にも良いヤツも悪いヤツもいるのですが、ロバートキヨサキがその著書「金持ち父さん貧乏父さん」でまさしく指摘したように、「ケチ」で「がめつい」人間が金持ちになるのは不可能ではないにしろ至難の業と言えるでしょう。いくつか例を挙げてみましょう。
同じような条件のワンルームの部屋があるとします。家賃相場は5万円です。
「ケチ」で「がめつい」大家が自分の利益を増やそうとがめつく6万円で貸そうとし、人に喜んでもらうことを第一に考える良心的な大家が4万円で貸そうとしています。
どちらの大家が空室を埋めて常に満室を維持し、お金を儲けて裕福になるのでしょうか。
同じような立地のラーメン屋がラーメンを一杯500円で売るとしましょう。
味が落ちるのも構わずとにかく材料の質を落として自分の利幅を大きくする「ケチ」で「がめつい」ラーメン屋とお客さんに喜んでもらうために可能な限り良い材料を使い自分の得る利幅を増やすよりもお客に喜びを与えるものを優先させるラーメン屋がいるとします。
どちらのラーメン屋の商売が繁盛し、成功して金持ちになるのでしょうか。
お金の世界で「ケチ」で「がめつい」ことは失敗や貧困へのまっしぐらの道なのです。逆に自分の得る利益を優先せず、まず他者に与えようとする者には成功やお金が集まってきやすいのです。もちろん、短期的には「ケチ」で「がめつい」ことで利益を得ることもあるでしょうが、長続きはしません。サラリーマンの世界でもそれは同じことです。
ロクな仕事もせず会社から自分がしている仕事以上の給料を貰おうとしたり、いつもどうやって多くの休暇を貰おうかと考えている、がめつい人間が出世の階段を上って高給を取るようになるでしょうか。
誰よりも頑張り、文句も言わず会社から貰える給料以上の仕事を進んでやる人間、自分が会社から貰おうとするよりもまず自分の時間や労力を会社に与えようとする人間が真っ先にリストラの対象となるでしょうか。
裕福になりたいと思ったら、気前良くしなくてはなりません。まず人に与えてこそ得られるのです。この黄金律を理解すればお金を儲けることが汚くて、金持ちはみんな「ケチ」で「がめつい」などということが全くの虚構であることが理解できると思います。
しかし、世間一般では金持ち=悪、貧乏=善という図式が正しいと思われていることが多いのは不思議でなりません。
実際賃貸経営をしていると、ケチとかがめついという話だけでなく、金持ち=悪、貧乏=善なんて全く成り立たないのがわかります。逆なんですよね。
私なんかは安いワンルームのアパートを多く持っているのですが、部屋の家賃が安ければ安いほど所得の低い層が入ってきます。部屋の家賃が高いアパートには裕福な層が入ってきます。どちらのアパートでトラブルが多いかわかりますよね。隣人同士のトラブル、クレーム、モラルやマナーの欠如、家賃が高いアパートにはほとんど関係のない話です。
貧すれば鈍するという言葉のとおり、貧しさ故に品性が下落するのか、品性が卑しいから貧しくなるのかはわかりませんが、不動産投資をしていなくても商売をしていれば所得の低い層をターゲットとするとトラブルが多いのは体感していることだと思います。
このカテゴリでは、お金を稼ぐことは決して卑しいことではないということについて考えていきたいと思います。