資本主義の仕組み
まず、大前提として、
1 私達が生きている日本は資本主義社会である。
(1) 共産主義という壮大な社会実験が失敗に終わった以上、今更社会主義や共産主義の国である北朝鮮やキューバへ移住したいという日本人は少ないと思う。
(2) 資本主義社会とは、資本(お金)があるところに資本が集まってくる社会である。
(3) 資本がないところには資本は集まってこない仕組みになっている。
(4) 私を含めて(殆どの人は)資本家の子供には生まれていない。つまり搾取される側である労働者の子供として生まれた。
(5) しかし、生まれてしまったものはしょうがない。それを恨むより、前向きに考えることが大切だ。少なくとも現代日本は職業選択の自由があり、私有財産も認められている上に、労働者が資本家になりたいと願えばそれを禁止する法律もなければ社会的圧力もない(法律で許されていても南インドの農村でダリットがカーストを飛び越えることは不可能に近いだろう)。
(6) 一般的な労働者の子供に生まれた私達は資本がない。
(7) すなわち、私たちはまずは働いてお金を稼がなきゃいけない。
2 資本主義社会における労働とは搾取されるということ。
(1) 資本主義社会において、雇われて働き、お金を稼ぐということは資本家に搾取されているということである。
(2) 仮に給料で20万円稼いできたとしたら、あなたはその会社で40万円稼いでいるということである。
(3) あなたが稼いだ40万円の内、10万円は会社の経費(光熱費やビルの賃貸料等色々)として支出されるので、あなたの懐に入ることはない。そして10万円はその会社に投資した資本家(株主もしくは経営者)が取っていく。
(4) そして残りの20万円があなたの取り分である。
(5) 物凄く数字を単純化しているが、これがあなたの手元に給料として労働の対価が支払われる際の基本的なお金の流れである。
(6) つまり、あなたが誰かに雇われ、仕事をしているという事実は、あなたは搾取されているということを表している。
3 搾取される側から搾取する側へ
(1) しかし、現在は前時代的な完全なる資本主義社会ではなく(例えば、現在の労働者は100年ほど前の紡績工場で働いていた女工達のように資本家からの徹底した搾取にさらされているわけではない)、修正が繰り返され、労働者が搾取されているとの強烈な被害者意識を持たない程度に薄められた修正資本主義である。そのため、私達は搾取されながらも、何がしかの金(生きていくに必要な額+α)を貰っている。
(2) そしてその搾取されながらも稼いだお金から生活費を支払った上で残ったお金を、遊興費に使うことも可能だが、それを投資に回すこともできる。
(3) それが例えば株券(別に債権でも不動産でもどんな形でも構わないが分かりやすい例として)を購入し、株主になるという形を取っても構わない 。
(4) そうすると、今度はあなたが資本家として、その株式会社に働いている従業員から搾取する側にまわることになる。
資本家による労働者の搾取を批判したマルクス
4 資本の再投下
(1) あなたが搾取すると言っても、初めの内は搾取されながら労働して得られる額と比べて、搾取する額は僅かに過ぎない。
(2) しかし、搾取して得られた資本を、労働によって得られた資本と一緒に、更に投資することができる。
(3) それを繰り返し、そしてあなたがしっかり投資の勉強をしたのなら、あなたが搾取から得られるお金は、あなたが労働から得られるお金をいつか越えることになる。利回りが多少低くても複利で増やしていくうえに、労働からの収入まで足せるのだからそれほど長くはかからないはずだ。
(4) そうなった時に、初めてあなたは労働から解放されることになる。労働をしなくても搾取することのみによってあなたは生きていくことが可能になる。つまり資本家だ。
5 お金の奴隷からの開放
(1) もう、あなたはお金のために何かをしなければならないということはない。お金の奴隷から解放されるのだ。お金のために仕事をし、朝は満員電車に乗らなくていいし、上司にあなたの人間性を踏みにじられるような発言もされなくていい。営業も数字も全く関係なくなる。あなたはあなたのお金を奴隷として使って、奴隷にお金を稼がせる。あなたがお金のために奴隷となって、労働をする必要がないのだ。つまり、お金の奴隷であったあなたがお金の主人となり、あなたとお金の間の主従関係が逆転する。
(2) そしてあなたは労働をしたければすればいいし、したくなければしなくていい。選択の自由が与えられるのだ。あなたは、今している仕事が好きならば続ければいい。嫌ならば辞めればいい。飲みに行きたい時に飲みに行き、眠りたければ眠り、旅行に行きたければ行き、好きな物を着て、美味しい物が食べたければ食べる。世の中の色々なことをもっと知りたいと思えば探求すればいい、興味のあることを勉強したければ大学に行ったっていい。自分をどこまで高められるか挑戦するのもいいだろう。あなたの行動は自由であり、人から強制されることはない。会社に遅刻してもいいというのではなく、遅刻という言葉自体があなたの辞書からなくなるのだ。お金の為に苦しみを耐えるということや、自分の時間を犠牲にするということはもうなくなるのだ。
6 時間は平等に与えられている物ではない。
(1) 人は皆、時間だけは平等に与えられているとよく人は言う。
(2) それは間違いである。
(3) 時間はお金で買える。
(4) 平均的な労働者が朝に家を出て夜帰宅するまでの時間を仮に12時間とする。
(5) 睡眠を8時間と仮定するならば、平均的な労働者の自分の時間と呼べるものは一日あたり4時間である。
(6) 働く必要のない資本家は一日平均16時間の時間が与えられている。
(7) 労働者は資本家に比べて時間は4分の1しか与えられていないのだ。
(8) つまり、元々は平等に与えられていたはずの時間を、あなたはお金と引き換えに資本家に渡しているのだ。
(9) 人にとって最も大切で、かけがいのない、二度とは戻ってこない有限の時間をお金の為にあなたは売り渡しているのだ。
(10) 時間とお金は同じコインの表と裏で、お金で時間を買うこともできるし、時間でお金を買うこともできる。給料を貰うということは、自分の時間を売ってお金を買ってるということで、例えば家を買うということは、お金を払って他人(工務店や大工さんや材木屋や釘工場のおじさんやその他たくさんの人)の時間を買っているということ。
(11) 時間は有限だが、お金については努力次第で限度はない。ならば、本当に大切な物はお金なんかでは決してなく、時間であろう。
(12) そしてその大切で限られた時間をお金で買えるとあれば、金を稼ぐ努力をしない手はないだろう。
7 資本主義社会の中で資本家になるということ。
(1) では、なぜこれだけの人が資本家になろうとせず、労働者に甘んじて一生を過ごすのであろうか。
(2) 理由はいくつかある。
@ 資本家のプロパガンダに踊らされている。
「労働は尊い。」「労働からこそ得られる物がある。」「生きるということは働くということである。」これらは昔から言われている格言のような言葉である。そして実際正しい部分もある。しかし、これは基本的には資本家やその時々の社会の上層部に位置する者のプロパガンダと思ってもらって差し支えない。なぜなら、労働者が労働をしてくれなくては、資本家は困るのである。労働者が労働してくれなくなったら、資本家が労働しなければならなくなる。これは資本家や労働をしない社会の上層部に位置する者に取って最も避けなければならないことだ。みんなが労働をしなくなれば、国自体が没落していく。それは治世者にとっても資本家にとっても等しく困った事態である。だから、労働者がみんな勤勉に働いてくれるように、労働は尊いというプロパガンダを、国を挙げて労働者に擦り込むのだ。そしてそれはかなりの部分成功している。それゆえ、殆どの労働者は労働者として一生を終わる。
A 投資は危険だと思っている。
事実、殆どの労働者に取って投資は危険である。それは投資の勉強もまともにせずに投資をするからである。投資の基本的なルールも押さえないで投資の世界で勝てるわけがない。野球のルールを知らない者が野球をしたって勝てないのと同じ道理である。そして、ちょっと儲け話に手を出して損をし、「うまい話など世の中ないんだ。俺は地道に働こう。」という思考パターンを辿り、一生労働者として終わる。
A 国や企業に頼ることに慣れ、自分でリスクを負うことが怖い。
手厚い年金や医療制度、終身雇用制度に守られてきた日本では、政府や企業に身を任せ、自由と引き換えにリスクを取らない事に徹し、自らの力で道を切り開こうという気持ちがない。つまり、リスクのあるものには手を出さず、そのリスクに対応するための術を勉強するのも面倒くさい。労働者として生活を保障され、与えられた時間は酒を飲み、競馬をし、パチンコをし、家族と寛ぐ。これが彼らにとっての幸せであるから。また、自分が一年間かけて貯めたお金が一瞬でなくなるかも知れない恐怖に彼らは耐えることができない。なぜなら、彼らはリスクに対応するための勉強をしていないから、それがどの程度のリスクであるかもわからず、そのリスクは取るに足るものなのか、足らないものなのかの区別もつかないからだ。ここで言う恐怖に耐える勇気とは、何も知らないが関係なしで突っ込んで行くものでは当然なく、(つまり蛮勇ではなく)きちんとリスクマネージメントをした上でこれは取らなければいけないリスクだと判断して、そのリスクに対する恐怖に耐える勇気である。
8 21世紀の日本を生きる
(1) しかし、労働者として生きるのも戦前戦中生まれの人達に取ってはそう悪い選択ではなかったことも確かだ。
(2) ある程度の企業に勤めていれば、倒産することもなく、終身雇用制度の元においては、途中で首になることもなく、年功序列で給料は上がっていき、退職金はかなりのまとまった額が保障され、年金は十分な額が60歳で定年退職した時点から貰える。
(3) そうであれば、これは実際そんなに悪い選択ではない。勉強もせず、リスクも負わずにこの対価を得られるのであれば、選択としては本当に悪くない。
(4) しかし、今私達が住んでいるのは21世紀の日本だ。今言った事が保証されている時代ではない。もう1990年代までの日本ではないのである。
(5) つまり、大企業だからといって潰れない保証はなく、いつリストラで首になるやも知れず、勤めた年数で給料が上がることもない。退職金など支払われれば良い方で、年金は65歳からだ。
(6) しかも、この先良くなる可能性よりも悪くなる可能性の方が格段に高い。
(7) ゆとり教育によって子供の教育レベルは低下し、アジアの国の中でも学力はかなり下の方だ。出生率も低下の一途を辿り、2025年には60歳以下の世代2人で60歳以上の世代の1人を支える世の中になる。(しかもこの数字は未成年も含んでの数字!)年金なんてとてもじゃないが、65歳からなんて支給できる世の中ではなくなっているはずだ。ちなみに現在(2011年)が4.3人で一人の老人を支えているわけだから、20年後に今と同様の65歳からの年金支給は絶対に無理だということは小学生でも理解できると思う。しかも老人医療費の高騰も当然考えられ、老人医療費の自己負担は今より格段に上がるはずだ。
(8) つまり、今までの悪くない選択がこれからの最悪の選択にもなり得るということだ。
9 人生のシナリオ
試しに、あなたの人生における、最高のシナリオを考えてみよう。 人によって差はあるかも知れないが、仮にあなたの家庭を平均的な労働者の家庭として考えてみよう。
年齢30歳。年間貯蓄額100万円。子供2人。賃貸マンション暮らし。
@最高のシナリオ
子供は2人共頭脳明晰性格も良く、中学に入ってもグレることもなく、高校は都立(県立)、大学は国立。卒業後は公務員または大手の企業に勤め、あなたの脛はかじらないとする。あなたの会社は潰れることもなく業績は常に上向き、あなたもリストラの対象とはならず、無事定年退職。
退職までに貯めた3000万円と退職金2000万円を手にする。子供も巣立ち、夫婦2人なので大きなマンションは要らないため、都内で小さめの中古マンションを2500万円で購入する。奇跡的に日本の出生率が極端に増加し、社会は子供や若者で満ち溢れ、日本の経済も活性化しており、年金が今までどおり65歳で十分な額が貰えるとする。さらにあなたもあなたの奥さんも死ぬまで大きな病気で入院することもなく、どちらも元気なまま老人ホームにも入らず、子供が面倒を見てくれ、ぽっくり大往生するとする。
そして60歳から65歳まで貯金を切り崩しながら、1年間に200万円程度の質素な生活をする。残った金額は1500万円。あなたが平均寿命ぐらい(80歳)まで生きたとする。65歳からは年金があるので貯金は切り崩さなくても生きていけるとして、生きていく以外の金は年間に100万円。孫に小遣いをやるのだってままならない。
あまり豊かな老後でないことはわかると思う。しかしこれが労働のみに頼ったあなたの人生における最高のシナリオだ。しかもほとんど実現の可能性がないくらいの幸運に頼ったシナリオである。
さて、ではもう少し現実的なシナリオを描いてみよう。最悪のシナリオではなく、あくまで現実的なシナリオだ。
A可能性の高いシナリオ
あなたの子供の出来は特に良い方ではなく、平均的な子供だとしよう。片方の子は都立、もう片方は私立の高校に通う。2人共大学には進学したい。少子化で希望すれば誰でも大学に入れる全入時代に突入しているため、あなたは子供の希望通り2人共、私立の大学に通わせる。この時点で最高のシナリオより、最低でも学費分1千万円以上は退職時の現金の額が少なくなっている。
そして子供は2人とも大学卒業後フリーターの期間や就職浪人をすることもなくすぐに就職、それなりに生活し、幸せな家庭を築き親の脛をかじることもないとする(ちょっと楽観的過ぎるか?)。あなたの会社は、業績は上向きではないものの、潰れることもなかった。給料体系は年功序列式の変更があり、あなたの給料はあまり上がらなかったが、リストラは免れ無事定年。
しかし、退職金は1000万円程度。定年まで貯めたお金と合わせて3000万円。新築のマンションは手が出ないため、1500万円で中古のマンションを購入する。しかし、頼りにしていた年金は70歳からの支給になり、しかも支給額も予想していた額の3分の2程度。そして定年から年金支給年齢の70歳までの10年間で1500万円しか使えません。つまり、年間150万円(夫婦二人で生きていくのにはこれでは足りないが)しか使えない。
しかし、年間150万円使っていたのでは年金生活に入った時点で現金ゼロになってしまうので、年間100万円しか使えないとする。年間100万円(月に8万ちょっと)で夫婦二人が生きていくのは不可能なので、ガードマンとして、日給6千円で働き始める。初めの半年はなんとか体ももったが、歳なのに、雪の中に棒を振っていたのがたたり、風邪をこじらせ入院。この年で夜中にガードマンとして棒をを振っているのはこりごり。でも、お金がない。質素な生活をしながらも貯金に手をつける。
なんとか70歳まで生き延び、年金を手にするが、貯金はゼロ。子供にたかるが子供も余裕がない。こんな状況ではオチオチ病気になって入院もできない。生活保護の申請用紙を横目に、あなたは「俺は真面目に働いてきた。こんなはずではなかったのに...」と頭を抱える。
こんなシナリオの方が現実的ではなかろうか。
10 人生のリスクをヘッジする。
(1) もし、あなたが会社を首になったらどうなるか。もし、あなたが職人で腕折ったらどうなるか。もし、あなたが運転手で、足を折ったり免停になったらどうするか。もし、あなたが会社員で、大きな病気をして、一年間会社を休んでも、会社はあなたを雇い続けてくれるだろうか。そうでない会社の方が多いのではないか。そうなるとあなたはどうなるのか。
(2) たちまちあなたの収入はゼロになる。
(3) 不労所得を持たずに、みなと同じように普通に、そして地道に働いているということは、一見とても安全そうに思えるが、あなたの予想に反してとても危険なことである。
(4) 地道に仕事しているのが危険というのはどういう意味か。
(5) 収入を労働による所得一本に頼るのは危険だということである。
(6) つまり、不動産を購入して賃貸料で稼いでもいい。本を書いて印税を稼ぐということもできる。株式に投資しても良いし、自信がなければ投資信託でもいい。為替でもいいし、なんでもいい。とにかく複数の収入(労働による所得、不労所得問わず)を得られる状況を作り出すことが重要である。もちろん、不労所得が多いにこしたことはない。
(7) 仮にその中のどれかから収入が得られない状況になったとしても複数の収入があれば焦ることはない。不労所得のみでは生きていけなかったとしても、仕事ができなくなった次の月から食べるにも困るなんて状況は生まれないはずだ。
(8) もちろん、仕事からの収入がなくても生きていけるだけの不労所得があれば最高である。
(9) ここでは、一つの収入だけに頼りながら生きていくというのはとても危険だということを理解してほしい。投資の話をすると「危なそうだから、俺はそういうのはいいや。」と言っている人の生き方(労働による収入のみに頼った生き方)のが、投資によって(リスクを負いながら)複数の収入を確保するよりも、よほど危険であるということである。
11 備えあれば憂いなし
(1) 死ぬまで大きな病気はせず、ローンの金利は上がらず、景気は良くなり、勤めている会社は潰れず、リストラになる事もなく、給料は上がり続け、子供は優秀で親の脛をかじらず、出生率は増加し、年金は65歳から十分な額が貰え、老人医療費の負担も上がらないなどという有り得ない仮定をするのはやめよう。
(2) それぞれのリスクに対して有り得ることだと仮定し、それぞれのリスクをヘッジするためにはどうすれば良いのかを考え、人生のプランを考え直してみよう。
仕事からの収入一つに頼ることの危険さと不労所得の必要性が認識できたであろうか。
あなたは人生のリスクに備えていますか。
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